2009.04.21 17:04 更新
奥越後の運搬動脈/魚野川と「こうりんぼう」(南魚沼市・新潟県)
自動車、航空機、鉄道etc...人類が世に送り出した交通機関は数多いが、輸送の効率で船に勝る物はない。ユーラシアの東西を結ぶ交易は、インド航路開拓後は海運が主流となるし、中国唐・宋王朝の栄華も、江南と中原・華北を結ぶ大運河の恩恵が大きい。100万都市・江戸の繁栄は、回船を使った大阪からの補給なしには成り立たなかった。日本の街道は主に人が移動する"歩道"であり、本格的な物資輸送は水上に頼ったのである。
そのようなわけで、船が通れるなら、川も重要な交通路となる。江戸初期に京都の豪商・角倉了以が桂川や富士川などの開削で活躍したが、各地の河川も運河代わりによく活用されていた。現在、人気を集める観光川下りは、大抵がその名残である。
ホテル「坂戸城」で一夜を過ごし、徒歩で六日町駅に向かう。灰色の前日から一変し、澄みきった青空が気持ちいい。視線を下ろすと、白く輝く河岸に挟まれた魚野川の流れ。漆のような黒々しさは、空と河岸の清冽さの中でひときわ強烈だ。橋の上から携帯を向け、写メをパチリ☆ 列車の時刻を気にしつつ足を速める。
「ちょっと見ていかんかね!」――ガラガラ引きずるトランクに旅行者の気配を察したか、近くの足湯で工事をしていたおじさんが声をかけてきた。指差す先には「こうりんぼうの館」の看板。
「???」――首をかしげつつ中をのぞくと、フロアいっぱいに木造の川舟がドドーンと鎮座していた。「こうりんぼう」は、江戸末期に開発された快速船の名称。今渡った川が、かつて越後水運の一角を担っていたことをようやく悟る。先の予定が心配だが、これも何かの縁。壁の資料に見入りつつ、しばし勉強させてもらうことにする。
南魚沼から越後の要衝・長岡までは、舟で下ること約9時間。帰りは流れに逆らって綱を引きつつ、4日がかりで戻ったという。非常に手間のかかる営みだが、輸送の全てを人の足と牛馬に頼るよりは、はるかに効率が良かったのだろう。
「こうりんぼう」をはじめ、川舟での輸送は大正13年の上越線開通で役目を終え、歴史の影に姿を消した。今は地元有志の手になる復元舟と資料が、その面影を伝えている。
ひと声もらわねば見逃すところだったが、何気に過ぎゆく街角にも、歴史の一場面がキラリ光っているものだ。次の町では、どんな出会いが待っているか?――乗るはずの列車はとっくに出てしまったが、どこまでも広がる青空の下、心は晴れやかだった。
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(写真上) 晴れわたる空の下、黒々とした流れが印象的な魚野川
(写真下) 直江兼続の幼名にあやかった「お六の足湯」とこうりんぼうの館。中には復元舟が展示されている。