第26話
ヘンテコ教師がそろったボクらの中学校でも極め付きは英語の教師だった。初めて英語を習う中学1年生。その最初の授業に現れた先生を見て「え?」と思った。ボクがイメージしていた英語の教師像と著しくかけ離れていたからである。しゃれたスーツを着こなす若い教師が、ペラペラと流ちょうな英語をしゃべりながら登場―。そんな場面を想像していた。
ところが目の前に立ったのは、白髪交じりの頭髪を真ん中で分け、黒縁の丸眼鏡をかけた「おじさん先生」だ。黄ばんだ開襟シャツの胸元には肌着がのぞいており、腰には手拭いをぶら下げている。およそイギリス、アメリカの生活も文化もかけらさえ感じられなかった。
肝心の授業そのものも珍妙だった。「イ、ジ、サ、ペ~ン」「ノー、イ、チ、ノ、タ、ペ~ン」。これはペンですか。いいえ、それはペンではありません。
外国映画で聞く英語とはだいぶ違うが、まだ初歩の初歩だから、こんなものかな。そうは思うものの、こんな英語が外国人に通じるのだろうか、との疑いも頭をもたげた。
そんな疑念をさらに深めたのは、英語の授業もある程度の数をこなした頃のこと。その日も先生の発音に続いて単語や文章を繰り返していた。
「グッド」「ベター」「ベスト」。いわゆる比較級、最上級の変化の授業だった。いつものように先生がまず発音し、それに続く。「ハイ!ヒ、カッ、キュウ」「ヒ、カッ、キュウ」「ハイ!サイ、ジョウ、キュウ」「サイ、ジョウ、キュウ」。
ボクは自分の耳を疑った。「これって、英語の授業?」
本当に、この先生は英語が話せるのだろうか。その疑問は解けないまま、英語の授業は進んだ。しかし、先生の温厚な人柄は授業を通しただけでも十分ボクらに伝わった。英語の時間は何やらホッとする。心が休まる。何よりテストの結果に、それは表れた。無論、ボクらのクラスが英語で良い点を取れた、という意味だ。
昭和38~39年。高度経済成長期の真っただ中とは言っても、戦争が終わってまだ20年もたっていないのだ。おじさん先生は戦後の教員不足で駆り出された代用教員からの出発だと聞いた。その頃は、英語をちょっとでもかじってさえいればよかったのだろう。生徒たちの噂(うわさ)によれば、先生は年老いた母親と二人だけの生活で、独身を通しているらしい。
国民の生活もだいぶ落ち着き、先生たちの通勤はまだマイカーとまではいかないが、大ヒットしたホンダのスーパーカブやスクーターが主流となっていた。おじさん先生は古ぼけた自転車に小さなエンジンを取り付けた正真正銘の原動機付き自転車をこいで通勤していた。「タッ、タッ、タッ...」という頼りなげだが、どこか郷愁を誘う音が今も耳の奥に残っている。
二学期が始まって間もなくだった。上級生の英語の学習を深める目的で、短期間だが通訳を職業にしている人が学校に招かれた。教科書の読み方や単語の発音など、教師を補助して一緒に授業をした。
数日後、その通訳がたまたま鹿児島に来航していた米国艦隊の水兵を学校に連れてきた。水兵に英語の授業を見学させ、お手本に教科書を読ませたり、生徒たちと会話をさせたりした。今で言うALT(英語指導助手)のようなものだ。通訳は背の高いアメリカ水兵としきりに英語でしゃべりながら、得意げに学校中を連れ回す。あちこちで生徒たちが群がった。だが、その輪の中に学校の本来の英語教師は一人もいない。どこかに消え去ったかのように姿さえ見えない。
水兵と遭遇して、生徒の目の前でいやでも「実力」を試されるのを避けようとしているかのようだった。おじさん先生もどこかに引きこもっていたのだろうか。そのたまらない気持ちがひしひし伝わってくる。
「英語が下手でも、それがどうした。誰が何と言おうとボクらの先生が一番だ!」。得意顔した通訳を前に、むちゃくちゃそう叫びたい気分だった。
次回は第27話 ウンまかせ