第24話

釣り天国

 東京オリンピックに国中が沸いた昭和30年代の終わり頃、ボクら釣り好き少年にとって錦江湾は最高の遊び場だった。漁師には「命の海」であり、湾岸に暮らす人、いや鹿児島人すべてにとって豊かなる「宝の海」であった。

 鹿児島市城南町のスポーツクラブ「エルグ」が今ある辺りは、当時「洲崎の浜」と呼ばれていた。日本ガスの大きなタンクが一帯の目印、今で言うランドマークだ。噴煙を上げる桜島を眼前に海岸が広がり、そこに点在する大きめの石を起こすと釣りのエサはただで手に入った。ゴカイがいくらでも取れたのだ。
24-1.gif 高価な釣り道具もボクらには必要なかった。洋式のスピニングリールはまだほとんど出回っていない。釣り具屋にあるのは竹製の継ぎ竿で、手元の部分に穴を通し、「台湾リール」(太い針金で作った糸車)を取り付けただけの簡単な車竿だが、子どもにはこれさえもめったに回ってこない。
 車竿は投げた後、親指で糸車の軸を押さえてブレーキを掛け、回転速度を調節する。初心者はそのコツを覚えてからでないと、すぐ糸をもつらせた。
 そんな市販の道具がなくても釣りはできる。笹竹の先にテグスを結び、オモリと釣り針を垂らしただけの仕掛けでキス釣りくらいなら十分だった。岸壁からポチャンと投げ込み、しばらく待つとググッと小気味よい当たり。岸壁のすぐ足元にキスが群れていた。

tennsenn.gifのサムネール画像 この頃、鹿児島市域から旧谷山市域にかけて港湾工事が盛んだった。砂浜が埋め立てられ、大きな港が次々に出来上がった。その岸壁や堤防もやがて釣り場になり、ボクらの新しい遊び場にもなったのだが、これが将来、宝の海を損なう原因の一つになろうとは思いもしなかった。
 錦江湾はその後、著しく汚濁が進んだ。家庭からの生活排水や事業場の廃水などがその元凶とされるが、海岸線の変貌も無関係ではあるまい。潮流や海底地形に作用し生態系にまで少なからず影響を及ぼしていると思われる。「魚が釣れない」。今それを実感する。

 中学生だったボクらは、まだ錦江湾の「豊かさ」を享受していた。いつものように三人組で新しい堤防の突端にまで出かけ、釣りをした。いずれは埋め立てられるが、わずかに残されていた砂浜ではアサリやワタリガニを取った。
 キスは三人で100匹も釣り上げたことがある。エサのゴカイを使い切ったので仕方なしに、放り投げていたゴッババをさばいて切り身をエサに試したところ、ヒジタタキ(キスの大物)を釣ってしまった。時たまチヌ(クロダイ)も食いついた。
 親父の釣りにもよく付いて行き、おかげで魚の名前にはやたら詳しくなった。危険な魚、毒のある魚も24-2.gif身をもって覚えた。アイゴ、鹿児島ではエノハとかバリと呼ぶ磯魚だ。それからゴンズイ、別名「海ナマズ」。いずれも背ビレなどに毒針を持ち、刺されると強烈な痛みに襲われる。ボクもこいつらに一度ずつやられた。タイやスズキの仲間はエラぶたやヒレが鋭く、針をはずす時に暴れて手を切ることがある。
 カンちゃんは見知らぬ人が釣り上げたアカエイを親切心から手で取り押さえ、尻尾にある毒のトゲに刺された。激痛にうずくまるカンちゃんの手が見る見る腫れあがっていく。病院に駆け込んだが、腫れと痛みは何日も引かなかったそうである。

tennsenn.gifのサムネール画像 ボクらの釣りで忘れられないのが「ボラ釣り」だ。釣りと言うより引っ掛けなのだが、カンちゃんはその名人だった。大きな釣り針を3本束ねてくっつけた仕掛けは、忍者が敵の屋敷に忍び込む際、塀などに引っ掛けて用いる鉤(かぎ)針を想像してもらうとよい。これを群れで回遊するボラの鼻先に投げ込み、引っ掛けるのだ。
 カンちゃんは視力が並外れて良いというわけではないが、誰よりも早くはるか沖合のボラの群れを見つけた。太陽が反射してギラギラまぶしい海面でも、「おっ、いた!」と群れを見つけては次々に釣り上げる。カンちゃんによればボラにも姿形でうまいのとまずいのがあるらしい。仕掛けを投げ込む前から、カンちゃんはそれを見分けていた。
 持ち切れないほどのボラを抱えて帰り、母親たちを驚かせた。味噌煮や洗いにして食べるとうまかった。親父の晩酌の肴にもなった。

 ボラ釣りとなると得意満面のカンちゃんだが、秋の気配が漂いだす頃、なぜか元気がなかった。収獲もさっぱりだ。しばらくしてクン太に聞かされた。飲み屋で働いていたカンちゃんの母親が若い男と逃げたのだという。
 無心に遊びまくったボクらの青い季節にも、大人の世界のヒンヤリした風が吹き寄せ始めていた。


次回は第25話 ヘンテコ教師列伝



イベントカレンダー
昭和らくがき帳
鹿児島の本
みんカル