第23話
「ゴッババ」をご存じだろうか。50代以上の鹿児島人なら誰でも知っている身近な魚の名前である。「ネズミゴチ」が正式名で、キス釣りの外道の代表格。釣り人に「海の女王」とも呼ばれたりするキスとは違って、実に見た目が悪い。上下につぶされたような体形と言い、泥と見まごう体色と言い、魚類の不細工ランキングでは上位を争う。おまけに体表はぬめぬめした粘液に覆われ、えらぶたには鋭いとげを持つので、釣れても始末に困る。
鹿児島でなぜ「ゴッババ」と呼ぶのか知らないが、方言辞典には「鯒婆(こちばば)の転訛」とある。なるほど、高級魚で50センチ以上にも成長するコチに姿形は似ているが、大きさは貧弱だし、系統も全く別だ。
余談だが、鹿児島市の歓楽街・天文館に名をはせた三人の美人ママがいた。そろって「やり手」で、人はやっかみ半分に「三ママ」ならぬ「三ババ」とも陰で呼んでいた。夜の街で仕事の憂さを晴らすビジネスマンたちは「もっと凄い三婆」の話でよく盛り上がったものだ。政財界や文化人の間で隠然たる力
を振るう三人の猛女を指していた。仕事相手として一度ならず、やり込められた経験を持つ男たちだからこそ、話の端々に皮肉や恨みもこもる。
その晩も「鹿児島の三婆」を肴に飲んでいたが、ある男が「○○夫人のわがまま振りは三婆以上」と切り出した。すると別の一人が「いや、○○女史こそ三婆に加えるべきだ」と応じて、論争に発展。これを聞いていたもう一人が次の一言で場を収めた。「三婆に二人加えて、これからは鹿児島の五っ婆だ」。子どもの頃からゴッババの生態を知り過ぎるほど知っている男たちから拍手がわき起こったのは言うまでもない。
ボクも本物のゴッババとは長い付き合いになる。昭和30年代の錦江湾は「宝の海」で、キスなどは岸辺からいくらでも釣れた。でも釣果の半分はゴッババである。「海スキ!釣りスキ!」のボクら中学生「おバカ三人組」がキス釣りに行くと、釣り上げるゴッババの数も半端ではない。岸壁は無残に投げ捨てられたゴッババが強い日差しでカラカラの干物と化し、足の踏み場もないほどだ。
中学2年の夏、相変わらずボクとクン太、カンちゃんの三人はつるんで行動していた。夏休みが終わっても、土日は大概「釣り」をして過ごした。ある土曜日の放課後。この日の釣り場には天保山の堤防を選んだ。与次郎ヶ浜がまだ埋め立てられる前で、釣り場の右手には鴨池の海岸まで砂浜が続き、天保山公園の松林とのコントラストは、まさしく「白砂青松」の一幅の絵のようであった。かなり昔に築かれたままの天保山の堤防は丸みを帯びた独特の形状で、もし埋め立てがなく、今もそのまま海に面して残されていたら貴重な文化財としても観光資源としても脚光を浴びていただろう。しかし、その頃も既に開発の波が押し寄せようとしており、堤防の下の海は消波ブロックに覆われていた。
ボクらは足場の良い丸堤防から消波ブロックに飛び移り、キス釣りを始めたが、どうも食いが立たない。釣れるのは圧倒的にゴッババの方だ。釣り場の周りはたちまちゴッババの干物で埋まった。
1時間ほどゴッババとの格闘を続けていると、中学校の技術家庭科の教師が釣り竿を手にやって来た。その年に教員に採用されたばかりの若い先生で、しかも新婚ホヤホヤだ。言葉からして出身は県外と思われる。
「釣れてるか?」とボクらのバケツをのぞき込む先生に「いえ、ゴッババばかりで全然ダメです」と顔をしかめて見せた。先生はがっかりする風もなく、竿を出して釣り始めた。案の定、先生もゴッババのオンパレードだ。それも一度に2匹ずつの一荷釣り。ボクらよりひどい。「エイ、くそっ」と同じように投げ捨てる姿をニヤニヤしながら待っていたが、そうではなかった。
先生は持参した小さなバケツに釣れたばかりのゴッババを大事そうに入れると、またもや海に向かって竿を振り出した。ボクら三人はおかしくて噴き出しそうな顔を見合わせながら、やっとの思いで先生に尋ねた。「それ、持って帰るんですか?」。先生は「おう、これはうまいぞ。今日の晩飯のおかずだ」と、振り向きもせず答えた。
まじめな顔でゴッババを釣り続ける先生に「これ、よかったらどうぞ」とボクらは捨てるつもりのゴッババを差し出した。「おっ、いいのか?」。先生はうれしそうに型の良いゴッババをバケツに入れると「これくらい釣れたら十分だ」と早々に引き揚げた。「本当にこんな魚を食べるんだろうか」。ボクらは干からびたゴッババとわずかに釣れたキスを見比べながら、まだ信じられずにいた。
後年、ゴッババが関東辺りでは「メゴチ」とも呼ばれる釣りの対象魚であることを知った。知人に「だまされたと思って食べてみろ」と言われ、出されたゴッババのてんぷらを食べて驚いた。白身の上品な味だ。むしろキスよりうまいではないか。遅まきながら、あの技術の先生を笑った自分の不明を恥じた。
次回は第24話 釣り天国