第20話

花の中学生

 昭和38(1963)年4月、ボクは中学校に進んだ。東京オリンピック開催直前の年で、高度経済成長の真っただ中を突っ走る日本のおそらく国民すべてが、三波春夫の「東京五輪音頭」そのままに浮かれていた。オリンピック景気とは直接関係ないが、ボクも多分浮かれていた。これから始まる中学校生活への期待にチョッピリ不安も交じるふわふわした気分のせいだろう。

 小学校の同級生は卒業と同時に通学区域で2つに分けられ、別々の中学校へ進む。クラスでも特に仲の良かった少年秘密部隊のメンバーは大半がボクとは別の、繁華街天文館に近い中学校へ行ってしまった。ボクが通うことになる中学校は、鹿児島市街を2つに割って流れる甲突川の河口近くにある。家からは川向こうになり、通学には河畔をわざわざ遡って天保山橋を渡らねばならず、それが少し20-1.gif損した気分だった。学校まで直線で結ぶと半分以下の距離だ。「川下にもう一本、橋が架かればいいのに」。その願いは中学校を卒業して何年もたってから実現した。
 かつては不良グループが跋扈(ばっこ)し「荒れた学校」というイメージで見られがちだったボクらの中学校だが、当時はさほど荒れた印象はなかった。むしろ学校周辺の環境はよそより良いはずだ。正門前を通る国道225号を隔てて鹿児島商業高校があり、その背後には天保山公園の松林と与次郎ヶ浜の白砂が広がっていた。

tennsenn.gifのサムネール画像 中学校生活は初日から波乱含みで幕を開けた。入学式が始まるまで、ボクは指定された教室の指定された席にかしこまっていた。教壇に向かって一番右端の列の真ん中あたり、廊下側の窓のすぐ横の席だった。
20-2.gif そこに小学校では隣のクラスの担任だった先生が通りかかった。この日だけ小学校を代表し生徒の付き添いで来ていたらしい。ボクに気付くなり、窓からのぞき込むようにして「おー、今日はいやにおとなしいなー」とニヤリ笑いかけ、そのまま行ってしまった。ボクの方に視線が集中する。それまでよそよそしく鳴りを潜めていた教室がドッと沸いた。あちこちで私語が始まり、一転して場がはじけた。
 新しい世界の第一歩に当たり、取りあえずは「猫をかぶって」様子を見ることにしていたボクだが、その皮はあっけなくはがされた。

 ボクが妙にかしこまっていたのには、わけがある。中学校では別の小学校から上がってきた生徒たちと席を並べるが、彼らに数では圧倒されている。ボクらの小学校は繁華街に近く、校区内には旧赤線の「沖の村」もある。日雇い労働者が多く住む、つまり下町の小学校だ。一方、彼らの小学校の近くには大学や球場などの施設があり、大邸宅も交じる高級住宅地を校区に抱えている。
 数だけでなくボクらの劣勢を際立たせたのが言葉だった。方言丸出し、それも決してきれいな方言とは言い難い言葉遣いのボクらとは違って、彼らの言葉は映画やテレビで東京の子が使うような標準語である。とりわけ女の子の会話には別世界を感じさせられた。何せイントネーションが全然違う。女の子にいきなり「きみ!」と呼び止められたのも初めてで、ドギマギした。
 このことは中学校に上がる前から聞かされていて、状況を見守るつもりの「猫っかぶり」だったのだが、そのかいもなく、こちらの正体は見透かされてしまったというわけだ。くすくす笑いの相手方の女の子たち。笑い声まで標準語に聞こえる。

tennsenn.gifのサムネール画像 そうこうしてる間に入学式の時間が迫り、教室に担任の先生が現れた。びっくりした。何と背が高い先生だろう。当時180センチを超える長身は珍しく、ついこの間まで小学生だったボクらにしてみれば見上げるような巨人である。
 先生に促されて入学式の会場に向かう途中、3年生の近所のお姉ちゃんが声を掛けてきた。「いい先生に当たったね」。ウインクしながら、そう言った。
 1学期が始まってすぐに分かったが、学校中の人気教師だった。年齢28歳。背のスラリと高いハンサムな独身教師は、女子生徒はもちろんPTAの母親たちに絶大な人気を誇った。その頃はみな生活に追われ、参観日と言っても学校に来る親は今のようには多くなかった。ところが、この先生のクラスだけは着飾った母親たちで満員になったそうである。いや実際、ボクらのクラスもそうなった。
 
 言葉の問題、校区の対立、人気者の「のっぽ先生」。いろんな出会いと出来事に巻き込まれながら、ボクの最も自由で気持ちもキラキラ輝いていた時代が滑り出していく。

  
次回は第21話 言語紛争



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