第17話
鹿児島は近年、台風の直撃を免れている。喜ばしいことだが、台風の通り道にあることは変わりなく、油断は禁物だ。
さて、わが家にテレビがやってきてから数年後のことである。その年も台風が鹿児島を襲った。台風に停電は付き物だ。今は停電しても復旧までそんなに時間はかからなくなったが、昔は長かった。そこで台風が来るとなると、停電への備えから始める。懐中電灯とロウソクは必需品だった。
その台風の夜も案の定、停電した。まだ寝るには早いし、ゴーゴーとたたきつける風雨の音で寝つけるはずもない。
中学生だったボクは少しでも気を紛らそうと、停電の中、ロウソクの明かりで妹たちとトランプ遊びを始めた。太めのロウソクをテーブルの四隅にまず立てる。そして部屋全体を明るくするため一段高いテレビの上にも一本立てた。
その頃はもう、わが家のテレビは床の間から居間の片隅に移されていた。高度経済成長期の真っただ中、テレビもいまや一般的な商品の地位にある。
いつの間に眠り込んでいたのだろう。焦げ臭いにおいで目が覚めた。のども痛い。部屋には煙が充満していた。目を凝らすとテレビから煙が立ち上っている。あわてて消し止めたが後の祭り。ロウソクが燃え尽きる前にテレビの上面が焼け、穴が開いていた。騒ぎに気付いてやって来た親父の怒ること怒ること。大切なテレビを台無しにしたことより、あわや命にかかわる不始末をこっぴどく叱られた。しょんぼりうなだれるほかなかった。
しばらくして新しいテレビがきた。やはり白黒(モノクロ)テレビだったが、世の中はもうカラーの時代を迎えていた。わが家のテレビも3代目からは「天然色」のカラー受像機に替わった。
話を元に戻そう。初期のテレビは非常に高価な商品だった。わが家の初代のテレビも、値段はサラリーマンの初任給1年分にも相当しただろう。画面には舞台の緞帳(どんちょう)を小さくしたような豪華な織物が掛けられていた。テレビを見るときは、この"緞帳"を恭しくまくり上げ、スイッチを入れる。そして今のパソコン画面より小さい14インチの画面を前に、電器店の取扱説明通り3メートル以上離れて見る。今のようにリモコンスイッチなどないから、チャンネルを切り替えるにはいちいち立ち上がって行かねばならず面倒だが、その頃はMBCの「1」とNHKの「3」、少し遅れてNHK教育テレビの「5」しかなかったから、チャンネルをカチャカチャ替えることもめったにない。
娯楽番組も限られていた。子ども向けの番組となるとさらに少なくなる。それでもボクらは「月光仮面」やそれに続く「七色仮面」「アラーの使者」「怪傑ハリマオ」などのヒーローものに熱狂した。
これら当時のヒーローものを今見直すと、そのチャチな作りに噴き出してしまう。「月光仮面」のおじさんは市販のバイクでタッタッタッとやって来るし、日本全土を恐怖に陥れる悪の組織にピストルでパンパンと立ち向かう。
特撮ものはもっと悲惨だ。先日テレビで昔のヒーロー漫画の実写版を取り上げて笑いのネタにしていたが、ボクらはかつてそれを現在進行形で見ていたのだ。「鉄腕アトム」は子役の少年がかつらのような黒いヘルメットをスッポリかぶり、タイツ姿で登場した。「鉄人28号」はもっとひどい。身長20メートルの巨大ロボットのはずなのに、2メートルそこそこの張りぼてだ。ジャイアント馬場の方がでかかったに違いない。この張りぼてロボットがヨタヨタと歩いて、もっと弱々しい敵の"凶悪張りぼてロボ"と戦うのである。
当時のボクらから見ても情けなかった。当然ながら、この手の番組は早々に打ち切られた。こんな番組もあったせいだろう。映画関係者は初期のテレビを「電気紙芝居」と呼んでばかにした。
しかし、その後は忍者ブームを巻き起こした「隠密剣士」や「仮面の忍者赤影」、本格的なアニメーションの「鉄腕アトム」「鉄人28号」「ジャングル大帝」などが続々登場、「仮面ライダー」などの変身ヒーローも加わり、テレビは子どもたちを完全に取り込んだ。大河ドラマは毎年評判を呼び、音楽番組からは次々に大ヒット曲が生まれた。こうしてテレビは「娯楽の王様」の座を映画から奪い取った。テレビの隆盛を「一億総白痴化」と揶揄(やゆ)する声もあったが、テレビの影響力は社会全体に浸透していく。
テレビとともに育ったボクらの世代。振り返れば、テレビは一家団欒(だんらん)の中心にあった。番組が少ないからチャンネル争いもない。家族みんながテレビの前に正座して画面に食い入り、一緒に笑い、一緒に泣いた。
それから数十年。テレビは一家に何台もあり、家族がそれぞれ「個」で接している。画面は大型化する一方だが、テレビに対する思い入れも家族共有の思い出も逆に小さくなるばかりだ。
次回は第18話 親父のラーメン