第17話

テレビがやってきた日(前篇)

 わが家に待望のテレビがやってきたのはいつだったか正確には覚えていないが、昭和34(1959)年のある日だったのは間違いない。その年は皇太子(現在の天皇陛下)ご成婚に日本中が沸き返っていたので、よく覚えている。
 若々しい昭和のプリンスと民間人から初めて皇室入りし「ミッチーブーム」を巻き起こした美智子妃(現在の皇后陛下)の馬車による絢爛豪華なパレードは、テレビで全国に中継された。昭和34年4月10日のことである。
 ボクは小学3年生だった。この日は確か学校は休みになっていたはずだが、そのパレードを小学校の17-1-2.gif図書室のテレビで見た。つまり、この日までわが家にはテレビはなかったことになる。

 皇太子ご成婚の中継をきっかけに、日本ではテレビが爆発的に普及したのだという。おそらくわが家にもそれからあまり遠くないある日にテレビがやってきたはずだ。何月何日かは覚えていなくても、「テレビがくる」歴史的その日の興奮は鮮明に記憶している。「今日からは家でテレビが見られる」。八百屋の店先や電器店のショーウインドー越しではなく、「月光仮面」も「プロレス中継」も家で楽しめるのだ。授業が終わるのも待ち切れず、宙に浮くような気持ちで家まで駆けて帰った。

tennsenn.gifのサムネール画像  町内にはまだテレビのある家はほとんどなかった。テレビを真っ先に買った小金持ちの家には「プロレス中継」の日になると町内の大人たちが、「月光仮面」の放映日には子どもたちが集まってきた。「すいません。テレビを見せてください」と言うなり、他人の家に上がりこむ。そこの家族が食事中だろうとお構いなし。その頃は、なまじの金持ちより圧倒的な数の貧乏人の方が元気で強かった。「どうぞ、どうぞ」と招き入れるテレビの持ち主。本心はどうだったのかしれないが、断ることはめったにない。ボクも一、二度他人の家に上がりこんで「月光仮面」を見せてもらったが、持ち主の家族からは歓迎という表情は到底うかがえなかった。
 大相撲中継は家のすぐ近くの八百屋さんで見せてもらった。テレビは店の隅の天井に近い棚に置いてあり、場所中はいつも黒山の人だかりだ。客寄せにも使っていたのだろうが、その日の中継が終わると店のおばさんは木製の丸椅子に上ってスイッチをプツンと切る。「あ~、これから面白い番組があるのに」と思っても、情け容赦なくプツン。「はいはい。ここからは家族の時間」といった顔つきだ。夕方6時以降の子ども番組や娯楽番組をゆっくり見てみたい、という欲求は日増しに募っていた。

tennsenn.gifのサムネール画像17-1-1.gif 待ちに待ったテレビが到着したのは、家に帰り着いて間もなくのことだったのだろうが、それまでの時間が途方もなく長く感じられた。電器店のお兄さんはテレビを運び込むとすぐにセッティングを始めた。ボクはその作業を食い入るように見つめていた。
 アンテナをつなぎスイッチを入れると、かなりの間をおいて、やっと画面が浮かび上がった。白と黒の幾何学模様のテストパターンだ。この頃、鹿児島のテレビ放送はNHKとMBC(南日本放送)の2局しかなく、NHKの大相撲中継がなければ午後の時間帯は放送休止が多かった。その間は、テレビをつけてもテストパターンしか流れない。けれども、わが家のテレビ画面にその変哲もない模様が浮かび上がった瞬間、一緒に作業を見守っていた妹は「うわーっ」と歓声を上げた。

 テレビは、わが家で神棚の次に大切な場所である床の間の掛け軸の隣に据えられた。外観は木目調の高級感あふれる作りである。数年後、ボクはこのテレビにまつわる大失態をやらかした。台風で停電した一夜、テレビの上に立てたロウソクのせいでテレビを台無しにし、「あわや火事」という事態を惹き起こしてしまったのである。


  
 次回は第17話 テレビがやってきた日(後編) 









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