第16話

アイスキャンディー

 鹿児島の夏は長い。半袖の季節で言えば1年の半分以上が夏。その長い夏の到来がさらに早まっている気がする。地球温暖化の影響だろうか。
 一方で、今は冷たい物が欲しければいつでも手に入る。「夏の味覚」も豊富だが、随分と季節感は薄れた。

tennsenn.gifのサムネール画像 ボクらにとって氷菓子は夏だけの食べ物だった。その代表が「アイスキャンディー」だ。5円玉を持って、こっそり駄菓子屋に買いに行く。
 親に見つかれば「そんなもの食べちゃ、おなかこわす」と決まってお目玉を食らった。人工甘味料と添加物たっぷりのキャンディーはお世辞にも衛生的とは言えず、今なら間違いなく発売禁止だろう。だが甘いものに飢えていたボクらには、安くて甘くて冷たいアイスキャンディーは何よりの夏の味覚だった。

16-1.gif 夏休みには、天文館公園にあったプールに仲間たちとよく行った。泳ぎ疲れた帰り道、冷え切っていた体が午後の強烈な日差しにたちまち火照ってくる。ちょうど冷たい物が欲しくなる頃合いの場所にアイスキャンディー売りのおじさんは待ち構えていた。
 自転車の荷台に積んだ箱の中にはドライアイスと甘いキャンディーが詰め込まれている。ゴム風船の中に砂糖水を入れて凍らせたアイスボンボンもある。
 冷たいアイスキャンディーをなめなめ、こめかみをキーンと引きつらせながら清滝川沿いの道を歩いて帰った。お小遣いが余分に残ったら、ちょっと贅沢して途中にある簾(すだれ)掛けの店に寄り、10円のカキ氷を食べて帰ることもあった。
 カップに入ったアイスクリームは高級品で、めったに食べられない。時たま映画館に連れて行ってもらった時などに、売店で買ってもらえることはあったが、何せ金額の割に中身の量が少ない。日頃は自分たちで買って食べることなど、まずなかった。一銭店屋と呼んでいた近所の駄菓子屋には置いてないというのも理由の一つだ。アイスキャンディーのほかにはパイナップル味のアイスパインやジャム入りのアイスモナカ、小豆あんのアイス饅頭(まんじゅう)といったところが一銭店屋の品揃えだった。

 アイスキャンディーは小学校の理科の授業で作って食べたこともある。洗面器に氷と塩を入れ、そこに砂糖水の入った試験管を差し込んでおくと、凍ってアイスキャンディーができる。その原理を先生が説明してくれるのだが、氷が解けて周りの熱を奪い、もっと冷たくなるという現象は、いくら考えても不思議でならなかった。

tennsenn.gifのサムネール画像 アイスキャンディーの懐かしさは死んだ親父の思い出にもつながっている。前にも話したようにボクの親父は鹿児島市の下町で歯医者をしていたが、この稼業は好きじゃなかったらしい。戦前は沖縄で大きな歯科医院を経営し、羽振りは相当良かったが、ほかの事業や活動に熱心だったようだ。
 敗戦ですべて失い内地に引き揚げてきたが、歯科医院の再開はそっちのけで家族を鹿児島に残し、ひとり長崎まで出向いてアイスキャンディー屋を始めた。終戦直後で、大人も甘い味覚に飢えていた。キャンディーは飛ぶように売れ、「日銭でリンゴ箱がいっぱいになった」と親父は話した。
 人生で成功するかどうかは、ここからである。鹿児島のトップ企業のいくつかは戦後、アイスキャンディー屋から身を起こしたという話は有名だが、親父の場合、儲けのすべてが「飲む・打つ・買う」に回ってしまい、あっという間にスッテンテンであった。
 鹿児島に帰った親父は仕方なく小さな診療所を再開した。それでも懲りずに焼き鳥屋をやってみたり、回転焼きとおでんの店を家族にやらせたりしたが、うまくいったためしはない。
 アイスキャンディーの儲けを地道な事業に投資していたら、今頃どこかの観光ホテルに負けない会社16-2.gifになっていたかもしれないし、大病院が建っていたかもしれない。
 「あの時は嫌というほど儲けたがなあ」。親父は晩年も氷菓子を手にすると、ひとり頬を緩ませた。バカな男とは思うものの、人生を下手くそながらも楽しみ尽くした、そんな親父が嫌いではなかった。


  
 次回は第17話 テレビがやってきた日 



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